1960年徳島県に生まれた。少年期は多くのミステリー小説を愛読した。 学習院大学法学部卒業後は日本経済新聞社の記者として入社する。この間、雑誌編集などの記者として以外の仕事もしている。その後、親しんでいたミステリーの創作を決心。処女作『クレムリンの道化師』を第三十五回江戸川乱歩賞に応募、最終候補作まで残るが国際小説(この作品はソビエト連邦を舞台としたスパイ・サスペンスで、小説中一人も日本人が出てこないというものだった)が難点となってしまい、受賞を逃す。翌年、再び国際小説(だが、今作品は登場人物の中に一人だけ日本の首相を出した。エピローグ時のところで東京の場面で小説は終結している)『フェニックスの弔鐘』を応募、見事第三十六回江戸川乱歩賞を受賞した。 当時選考委員であった笹沢左保は『クレムリンの道化師』について、「応募先を間違えたようで気の毒だ」 というように評した。しかしながら『フェニックスの弔鐘』については「またもや国際小説で応募してきたという作者の姿勢が見事だった」という言葉を残している。 また選考委員だった生島治郎は「未熟であったとしても新しいことに挑戦し新ジャンルを拓こうとする新人のエネルギーと若い力に期待したい」と述べ、これが生島が選考会で『フェニックスの弔鐘』を少し強引に推した理由だと述べている。 謎解きが主題の小説が受賞してきた乱歩賞に『フェニックスの弔鐘』は変革をもたらした、といわれている。(ウィキペディアより)
ニューヨークでVIPを乗せた旅客機が墜落。現場からはソ連製の毒ガスが発見された。モスクワではパイプラインが爆発…。デタントのうねりが世界を覆い、米ソ日で軍縮条約が結ばれようとしたとき、平和に挑戦し、冷戦の復活を目ざす巨大な陰媒が進行しつつあった。
細長いテーブルのブイコフと向かい合って坐るゴルバチョフ書記長の右側には、ルイシコフ首相、マスリュコフ第一副首相、シェワルナゼ外相、クリュチコフKGB議長、バカーチン内相、ヤゾフ国防相、モイセーエフ参謀総長ら政府・軍の最高首脳が坐っている。彼らの後方には別の小テーブルが置かれ、書記長から出席を求められた三人の特別顧問――前参謀総長アフロメーエフ元帥、前KGB議長チェブリコフ、ドブルイニン前駐米大使が揃って腕を組んで並んでいた。
反対側の列は、リガチョフ政治局員兼書記、メドヴェージェフ政治局員、プーゴ党統制委員会議長兼書記、ウラソフ政治局員候補など党最高幹部が席を占めているが、ウラソフの椅子ひとつ置いた隣には、ガス工業相チェルノムイルディンが場違いな格好で身じろぎもせずにいた。
訪日中のヤコブレフ政治局員兼書記をはじめモスクワにいない者を除き、ソビエト連邦の最高幹部が集まっているのだ。(p.194)


今のところ、有力視されているのは、香村のほかに、前の助教授で現在は大阪中央総合病院の心臓外科部長でもある南聖一郎、アメリカのコロラド大学心臓外科部長三崎孝の三人だった。(中略)
三崎は変わった経歴の持ち主で、東央大学を卒業すると単独でアメリカに留学し、ピッツバーグ大学やフロリダのメイヨークリニックで腕を磨いたあと、コロラド大学で心臓外科部長まで上り詰めた一匹狼である。(pp.76〜77)
兵庫県出石郡出身の香村は、幼いころから成績優秀で、中学卒業まで首席を通した秀才である。高校は神戸の私立進学校である潮高校に進み、現役で阪都大学医学部に進んだ。挫折を知らないエリートで、試験と名のつくものには落ちたことがなかった。香村が医学部に受験したのは、その優秀な能力を生かして医学の分野で自分の名を残すことを夢見たのである。(pp.80〜81)
医学界で出世するためには何が必要か。修行時代に苦労した香村は、先の戦略を立てていた。帰国後、香村はアメリカでの実績を過大にアピールして、講師の地位を手に入れた。そのとき、香村の博士論文を台無しにした指導教官は、助教授になっていた。香村は川邊教授を誘導して、その助教授に無理やり地方大学の教授選に立候補させ、落選させた。助教授は責任を取る形で辞任し、行き場が無くなって開業した。香村は十年前の恨みを執念深く晴らしたのである。
今回の教授選の有力候補である南聖一郎が、そのあと助教授に昇格すると、香村は医局長になって南の手術件数を減らした。そして手術が好きな南に、香村は何食わぬ顔で言った。
「南先生、大学病院は教育や研究に時間を取られ、どうしても手術件数が少なくなってしまいますね。先生のように腕の立つ外科医にはもったいないですよ。学外の総合病院なら、いくらでも手術の症例があるし、メジャーの病院に行けば教授選にカムバックできますよ」
香村は巧みにそう持ちかけて、南を大阪中央総合病院の心臓外科部長に転出させることに成功した。(p.83)
廚は三十八歳で、医局に十二人いる助手の中で最年長の筆頭助手である。(中略)
種田のほうは四十四歳で、医局長を兼務する筆頭講師である。いわば医局の総務部長だが、実態は雑用係の元締めで、うまみのあるポストとはいえない。(中略)
一方、やり手で通っている廚は、種田よりはるかに大きな野心を抱いていた。香村とちょうど十歳年齢のちがう廚には、香村の後継者になるチャンスがあるからだ。ただし、廚にも問題がないわけではない。峰丘茂の手術のとき、第一助手を務めた滝沢啓治は、講師の中でいちばん若い四十歳である。廚の二年先輩に当たり、研究実績、手術件数でもライバル関係にある。(pp.100〜101)
滝沢は頭の中ですばやく考えた。もし南が次期教授になるとしたら、自分を取り巻く状況は百八十度変わる。滝沢は香村が次期教授になるものときめつけていたので、自分の将来にほとんど希望を持っていなかったのだ。(中略)
あれは香村が教授になったら、自分を地方に飛ばすとほのめかしたのにちがいない。おそらく紀南医科大学だろう。(中略)
しかし、もし南が教授になれば状況は一変する。南は研究者として滝沢を高く評価し、性格的にも相通じるところがあった。教授に気に入られておれば、大学にも残れるだろうし、助教授の地位もほぼ確実になる。それだけではない。現在四十歳の滝沢には、次の次の目が出てくるのだ。八歳年上の香村では年齢が近すぎるが、十二歳上の南なら、次の教授選に滝沢がちょうど適齢期になるのだ。そううなれば慌てるのは廚だ。香村の後継にはちょうどよいが、南の次にはやや若すぎるからだ。次の教授が香村か南かで、滝沢にも廚にも状況は雲泥の差となるのである。(pp.167〜168)
香村が阪都大学の教授ポストに執着するのも、予算獲得の面で大いに有利であるからだ。国は東央大、京帝大、慶陵大、阪都大の四大学に、他大学とは桁ちがいの予算を配分する。重点配分で世界レベルを目指すためである。従って、世界を目指すなら、この四つの大学以外の教授では意味がないのである。(p.79)
厚労省の予算は科学技術振興費と呼ばれ、年間およそ百九十億円である。(中略)
ちなみに、このシステムは一見フェアなように見えるが、実態は、例年、東央大が全予算の約半分を取り、残った分の半分を京帝大、さらにその残りの半分を阪都大が取って、その残り、つまり全体の八分の一を全国の大学に分けているのである。(p.241)


医者の診断ミスで妻を傷つけられた元新聞記者の松野は、“医療過誤”をテーマにしたノンフィクション執筆を思いつく。大学病院の医局に勤務する若き麻酔科医・江崎の協力を得て、医師たちの過去の失敗“痛恨の症例”や被害患者の取材を開始した。その過程で、「父は手術の失敗で死んだのではないか」と疑念を抱く美貌の人妻・枝利子が、医学部のエリート助教授・香村を相手に裁判を起こす。が、病院内外の圧力により裁判は難航。その裏で医療を国で統制しようと目論む“厚生労働省のマキャベリ”佐久間が香村に接触を始める…。枝利子の裁判の行方は?権力に翻弄される江崎と松野の運命は?そして佐久間の企図する「プロジェクト天寿」とは?大学病院の実態を克明に描き、来る日本老人社会の究極の解決法まで提示する、医療ミステリーの傑作。







鎌垣 書籍全体の売り上げが落ちていくのは必至ですし、個人的には、ポイントになるのは再販制度がなくなった時だと思います。本とは10年ほど前に再販がはずれるだろうと思っていたんですね。その再販がはずれるときに、僕はどこにいるのがいいのかっていうのは常に考えていました。取次にいちゃだめだと。ただ現状を見ると、あと5年しても再販ははずれないように思います。今の状態のまま、あと5年くらいはじりじりと書店の数が減っていきますね。
その次に大型書店が倒れていきます。初期投資をどうやって挽回できるかわからない書店もありますから、それは無理がきますよね。だから町の小さい本屋さんが倒れた後に、大きい本屋さんにぱっと飛び火していきますよね。(「取次とはなんだ 鎌垣英人◎大阪屋・EC事業部」pp.106〜107)
塩山芳明は、エロ漫画下請け編集者である。(中略)
本書は、その塩山が一九八八年から現在まで書き続けている下請け編集者の日常を綴った日記を抜粋・編集したものである。(中略)
単行本『嫌われ者の記』は、一九九六年に一水社から刊行された。原稿用紙八百枚分という恐るべき分量だったため、今回の文庫化にあたっては、単行本から三分の一程度を選び、その後の連載からの抜粋を加えた(「嫌われ者の記」が中断していた約二年間は、「月刊塩山無駄話」という同工異曲の日記連載で埋めてある)。(南陀楼綾繁「編者まえがき」pp.4〜5)
「塩山芳明は、日本のセリーヌだ」、と書けば、きっと塩山芳明は、「ジジィ転がしが上手いだけのデブ福田が、大げさに持ち上げれば、ハァハア涎をたらして、尻尾振ると思いおって」というようなことを、もっと上手く、かつ辛辣に書くだろうが、まあ、そう考えているんだからしょうがない。罵りが芸術の域に達しているだけではない、仔細なことから宇宙まで、さまざまな事象にたいする癒されることのない憤りと、自らのヒューマニティにたいする含羞、暗いユーモアとやりきれないほどの哀愁において、塩山芳明は、中上健次よりも柳美里よりも、セリーヌに喩えるにふさわしい。小説家じゃないけどね。(福田和也「解説」p.340)
『Mate』の下描きが届いた獅月しんらにも電話。「テメーもペイントロボと同じで童貞か?」「!! えっ……はっ……その……」(確率99%と推測。同じく鬼姫75%)。「オマンコの位置が上過ぎ。ヘソの下じゃなく、太腿の間にあんの!!」「は……はいっ!!」こーゆの、海見たこともねえ飛騨の木こりが、漁師志願の若者に泳ぎを教えるとでも?(p.265)
上信電車で、『かみそりの刃(下)』(S・モーム・ちくま文庫・本体728円)を読了。ラリーの印度哲学談義にはうんざりさせられ、初めてページを飛ばしたが、手持ちのモームの本はこれが最後なので、やはり寂しい。ビリー・ワイルダーやモーム、谷崎潤一郎や深沢七郎の作品群は、味わっているうちは至福の時だが、その後は一挙に不幸に。「また残りを一作品減らしてしまったか……」との後悔の念で。(p.140)
ムシャクシャ気分で、神保町を散歩。「田村書店」で、迷ってた『近松秋江全集』(全13巻・八木書店)を、11万で購入。かつて買った本では最高額だった、6万近い『バルザック全集』を軽く凌駕。(p.190)
この病院(引用者註:警察病院)には学生時代、明大で内ゲバがあると、すぐ近くに日大病院があるにもかかわらず、よく学生が運び込まれた。(途中で警官の激テロサービスあり)対革マル戦で連戦連敗だった青解(反帝学評)は、従来のゆるやかな党派活動から、次第に「早稲田の革マル支配を見習え!!」と方針を変え、ノンセクト中心の、明大夜間部文学部自治会の主要メンバーを、暴力的に追い出し始めた。76年、俺の友人も文学部事務室前で、顔見知りの党派女性活動家に、千枚通しでブスリ。一方的被害者だが、機動隊員に蹴られながら、この病院に運ばれた。もっとも今や、青解内部で激しい殺し合い。更に噂じゃ、例の“千枚通しの女”は、漫画屋に遠くない場所に住み、幸せな家庭を築いているとか。(p.226)

「完全な独立」とは教授のポストの五十%以上を自校の卒業生で占める場合。「ほぼ独立」とは自校の卒業生が三十五%から四十九%、ほかの大学よりは多い場合。「傘下」は五十%以上が学閥校に占められている場合。「ほぼ傘下」は三十五%から四十九%が学閥校に占められている場合。「影響下」とは十五%から三十四%が学閥校に占められている場合。(p.132)
・京都大学医学部閥
傘下
関西医科大学
ほぼ傘下
滋賀医科大学
影響下
福井医科大学
三重大学
近畿大学
島根医科大学
香川医科大学
・大阪大学医学部閥
傘下
兵庫医科大学
ほぼ傘下
愛媛大学
影響下
近畿大学
(pp.136〜137)
以上からわかることは、旧制六医大は旧帝大の支配からは脱したが、その旧制六医大は、千葉大を除き新設医大を、東大が行ったのと同じようにほぼ傘下、あるいはその影響下に置いていることである。同様に旧帝大は新設医大の多くに教授を送り込み、しっかり学閥を作り上げている。(pp.141,145)


・奈良県立医科大学(三十四)
自校出身二十人、阪大四人、東大一人で完全に独立している。ほか八校九人。
・和歌山県立医科大学(三十六)
自校出身十七人、京大、大阪市大各三人、東大二人。ほぼ独立とみていいだろう。ほか十一校十一人。
・徳島大学医学部(四十二)
自校出身十九人、東大、神戸大各三人、ほか十二校十七人。ほぼ独立とみていい。
・三重大学医学部(三十七)
自校出身十二人、京大七人、阪大四人、東大、名古屋大各三人で、独立には至らない。京大の影響を受ける。ほか六校八人。
・広島大学医学部(三十六)
自校出身二十四人、京大、九大各二人、東大0人、完全独立して対抗する勢力もない。ほか八校八人。
・岡山大学大学院医歯学総合研究科・医学部(四十七)
自校出身二十七人、東大、北大各四人。完全に独立している。ほか九校十二人。
(カッコ内は全教授数。pp.124〜129)

「財前というのは、ちょっとばかりの才能を鼻にかけ、若輩のくせに思い上がって、のさばり過ぎている、廊下であっても、われわれ先輩に対するあの態度は何だ、まるでプロレスラーか犬殺し屋みたいな大きな図体を廊下一杯にのさばらせ、もう少し小さくなって歩けんものかね、僕が奈良大学から呼び戻されて、母校へ帰って来た時、真っ先に目についたのはあいつの増長ぶりだよ、この際、あの生意気な根性を徹底的に叩き直すためにも、地方へ出して冷飯の味を覚えさせることだな」
浪速大学の助教授から、系列校である奈良大学の教授に出され、七年ぶりに一昨年、母校へ戻って来たばかりの乾は、財前が何の苦労も、寄り道もせずに、ストレートに本学の教授になることが苦々しい様子であった。(p.199)




「十二月十日締切日までに、本学へ推薦されて来ました候補者は十名で、その氏名を発表しますと、名古屋大学矢田教授、千葉大学橘助教授、東北大学三上教授、三重大学雨宮教授、洛北大学曲直部助教授、金沢大学菊川教授、広島大学今教授、岡山大学梶谷教授、徳島大学葛西教授、それに本学の財前助教授の諸氏であります」(p.186)
「そう致しますと、洛北大学系では、洛北大学の脳・神経外科の曲直部助教授と、三重大学の雨宮教授ですが、二人を比較すると、やはら洛北大学の曲直部助教授になるでしょうね。」(p.189)
「まあ、そうした議論はあとですることにして、選考をすすめましょう、次は九大系の広島大学の血管外科の今教授と岡山大学の制癌剤研究の梶谷教授のどちらかということになりますが、(後略)」(p.189)
「(前略)それに今教授は、あと二年で退官する母校の九州大学第一外科教授の後任として呼び返されるそうですよ」(p.192)


「ですが、次期教授の呼び声の高い助教授が、ストレートに教授に昇格するとは、必ずしもきまっていませんからね、つい最近では、あの第三内科の教授の場合だって、そうじゃありませんか、呼び声の高かった本学出身の助教授が駄目で、京都の洛北大学系から来たじゃあありませんか」
佃が事実を突きつけるように云うと、
(中略)
「先生もほんとうにそうお考えですか、それで安心しました、僕たち医局員は、この際、財前助教授が教授になり、金井講師が助教授になられることが、教室のために一番よいことだと思っていますよ」
勢い込むように云うと、
「いや、俺など、まだ助教授なんて柄じゃないよ、第一、助教授なら、筆頭講師の南先生の方が順序だし、適任だろう」
と云いながらも、金井の眼に佃の言葉を肯定する笑いが奔るのを、佃は見逃さなかった。(pp.127〜128)
今津は、第二外科の主任教授であったが、六年前の教授選挙の時、東の強力な後押しで、危うく学外からの移入教授を阻止し、助教授から教授に格上げになったのであった。それだけに今もって、東に非常な恩義を感じ、一般に大学病院の第一外科と第二外科というのは、互いに競争意識が激しく、仲の悪いのが通例であったが、東が主宰する第一外科と、今津が主宰する第二外科は、この通例を破って非常に協力的であった。(p.132)
鍋島外科病院の院長である鍋島貫治は、財前より十年先輩の第一外科出身の外科医で、市会議員の肩書きを持ち、その方の役職も忙しく飛び廻らなければならなかったから、難しい手術の時は、何時も財前に手術を依頼して来ていたのであった。(p.142)
(財前)「そうなんですよ、最初、僕も半信半疑だったんですが、今日、自分の眼ではっきりと東教授の顔色を見て、これは確かだと思い、僕もよっぽど東教授に嫌われたものだと、がっくり来てしまいましたよ、ここへ手術に来るのも、案外、先が短いかもしれません、外から教授が入ると、僕は和歌山大学か、奈良大学あたりへ教授として出されてしまいますからね」
(中略)
(鍋島)「何? 東都大学系――、そうすると、二代も続いて東都大学にやられるというわけか、そんなことは断じて許せん、わしだけやない、第一外科出身で他大学へ行っている者も、開業している者も、東都大学出身の教授が二代も続くなど全く聞き捨てならん、だいたい東都大学などというのは、国立大学の中でも権力主義の権化のようなところで、浪速大学のような在野精神に満ちているところとは、根本的に相容れぬものがある」(p.143)




これに限らずいしかわじゅんの、ときにいいすぎる断定口調は「辛口」イメージを彼に与え、それも番組人気の要素となった。おかげで彼は業界一部から嫌われ者になったりもしている(少なくとも僕の見聞の限りでは)。僕も「うまいヘタ」について語っているが、いしかわのインパクトが強いので彼の発言と受け取られていることすらある。
よく聞くのは「いしかわじゅんの絵を見たら、よくあんな偉そうなこといえると思う。自分で描いてみろといいたい」という(主にファンからの)感情的反発だが、これはじつはたいした問題ではない。マンガを描けない者は「うまいヘタ」や、それに類する評価をできない、ということになると、批評も成り立たなくなるからだ。
絵を描けない人は絵画批評ができず、音楽を演奏できない人は音楽批評ができない。小説を書けない人が文芸批評をしてはいけないことになる。そんな社会は、ロクなもんじゃないのである。(「マンガの「うまいヘタ」 評価基準の厄介な問題」pp.190〜191)

よく大学の授業がつまらないという声を聞くが、考えてみてほしい。週に一〇コマ以上の授業がみんな興奮するほど面白かったら、君たちだって身が持たないだろう。教師と馬が合うとか合わないという問題もあるし、週に二コマか三コマ「面白い」授業があったら、学生生活として十分ペイしているはずだ。(p.17)
誤解のないように付け加えておくと、僕はこの本の内容がダメだと言っているわけではない。世の中にはすごく優れた思考力があるのに、文章が下手な人がいる。それに、読むに値するから批判しているのである。つまらない本を批判しても仕方がないだろう。文科系の学生なら、『〈民主〉と〈愛国〉』ぐらいは読んでおいてほしい。(p.35)
それよりも、近年の小森陽一がほとんど本を出すたびごとにと言っていいくらい、「パクリ」を指摘されたり抗議を受けたりしたりしているのは、超一流の研究者だけに、残念でならない。政治的なことも含めて(それが大切な仕事であることはたしかだが)、いろいろな仕事を引き受けすぎ、そして書きすぎだからなのではないかと思う。小森陽一は個人的なチャンネルはすでに失われているし、誰かが一度はきちんと言っておかなければならないことだと思うので、あえてここに書いておく。(p.38)
僕が前に勤めていた成城大学文芸学部は半ば東京大学の植民地化していて、教員の約三分の一が東京大学の出身者だった。その中には、研究、人格ともに立派で、僕などが何をどうやってもまるで足元にも及ばないと思わせられる、惚れ惚れするような教員も数名はいた。エリートというのは、こういう人のことを言うのだろうかとつくづく思ったものだ。
しかし、それ以外は「昔、東大を受験したときには秀才だったんだろうなぁ」という感想を抱かせるような教員ばかりだった。特に文科系の研究は多くは一人で行うものだから、その教員の優劣がはっきり出てしまうのである。東大でこんな感じなのだ。受験勉強なんて、その程度のものだ。(pp.104〜105)
文科系の研究者の世界では、「鉄のトライアングル」があるようだ。「東大、朝日新聞、岩波書店」である。これらを結びつけているのは共産党、あるいは少し古い左翼思想である。(pp.125〜126)
最後に、学生諸君に宿題をひとつ。この第一部の奇妙な形式は、ある有名な哲学書を真似ている。翻訳では岩波文庫とちくま学芸文庫から出ている。文科系の学生なら、学生時代にその本を買って、パラパラ読むことぐらいはしてほしい。





(東佐枝子は)、聖和女学院時代の級友である里見三知代を訪れることにしたのだった。
里見三知代とは、お互いに医学者を父に持っていることと、三知代の実父で、現在、名古屋大学の医学部長をしている羽田融が、曾て浪速大学医学部の助教授であったことから、在学中から何となく話が通じ合う友人であった。(p.89)
滝村名誉教授は、東教授の前の教授であったから、佃たちは直接の教えは受けていなかったが、第一外科出身の名誉教授で、日本外科学会の大御所的存在であったから、第一外科が率先して喜寿の祝賀会の世話をしなければならなかった。(p.119)
筆頭講師の南と、次席講師の金井であった。南は、財前助教授より三つ齢下の四十歳の筆頭講師であったが、大学の研究室が好きだから、何時までも残っているといった

(教授夫人たちの集まりであるくれない会で)
「ほら、この二月に停年退官なすった第三内科の石山教授、あの方はほんとうにお気の毒でございましたわね、ご自分はもちろんのこと、周囲の方々も、当然、鉄道病院の院長になられるものとばかり思っておりましたら、どなたかが手を廻されて、廻り廻って運輸大臣の佐藤万治さんの鶴の一声で、土壇場で駄目になってしまって、それから慌てて、大阪市民病院や、研究所などにまで手を廻されたのが、全部駄目で、とうとうあまり有名でもない会社の顧問医ということで、僅かな捨扶持を戴いておられるそうでございますわ、在官中教授にまでなりながら、あんなのを拝見致しますと、私の方も、あと四年で停年退官でございますけれど、とても、安心などしておられませんわ」(p.88)
文部次官の原と、東とは同県の兵庫県の出身で、しかも原の方が大分、後輩であったが、同じ東都大学出身という関係から、今度の浪速大学附属病院の新館建設の文部省関係の陳情や事務手続を円滑に運んでくれた相手であった。(p.109)
「実は、厚生省の公衆衛生局長をしている僕の友人にずっと働きかけ、彼も骨惜しみなくやってくれたのですが、何分、国立関西病院は歴代、内科の院長という妙な不文律のようなものがあって、その上、ちょうど東さんと同じ時期に、大阪市立医科大学第二内科の角川教授も退官されるのですが、この人が東さんより先に国立関西病院を狙い、厚生省関係の局長クラスを大部分押さえて、既に相当な効果をあげてしまっている現状なんですよ」
(中略)
「ですが、もう一つの来春、完成の運びで新設中の近畿労災病院の方は、うまく行っていますよ、あの方は、医系議員を通してやっているのです、つまり、医師出身で医師会を地盤にして出ている医系議員は、驚くほど鉄道病院や遞信病院、労災病院などの最高人事に実力を持っているのですよ、(中略)
いかにも、荒川大臣を助けて、日教組と闘って来た辣腕家らしいきれを見せたものの云い方であった。(p.113)
東は、既に原が政界入りを決意し、そのために新館増設の裏面工作に力を貸し、その上さらに自分の退官後の行先に奔走してくれ、その代り、彼が衆議院選挙に出る時、関西における東の患者や医者関係の地盤を利用しようとしている腹づもりを読み取っていた。鵜飼は、新館増設を次期学長選への実績に利用し、東自身は、その功績によって間違いなく名誉教授になり、その肩書によって、よりよい条件で退官後の行先を得ようともくろんであいる。いわば、三人三様、互いに自分の利得のために画策し、そのために新館増設に力を尽くしているのであった。(pp.114〜115)
何もかも、人と人との繋がりによって動き、それが実力よりも大きな働きをする不条理な世の中だと、不快になりながらも、なお原に頼らなければならぬかと思うと、東は今さらながら、国立大学の教授といっても、現職であってこその教授で、停年退官を迎える教授の力の無さを感じた。なまじ医学者であり、国立大学の教授であるために、そこらの商社の役員のように傍系会社へ自分を売りに廻るわけにもいかず、そうかといって黙っていても向うから頼んで来るような二流の地方大学の学長や、地方都市の市民病院長になるぐらいなら、いささかの恒産があるのを幸いに、悠悠自適する方がましだとも考えた。(p.115)

| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| - | - | - | - | - | - | 1 |
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | 31 | - | - | - | - | - |
Author:azev
FC2ブログへようこそ!