Im Anfang war das Buch-購書&購盤日記-

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《TV》2008.09.20 「官僚たちの夏」(最終回)



ドラマ「官僚たちの夏」

 2009年7月5日から9月20日までTBS系列「日曜劇場」内で放送。原作は、もちろん城山三郎『官僚たちの夏』です。私は20年ほど前に読みました。官僚について語るときの一つの原点となる作品でしょう。
 TVでは、どうしても描き方が一本調子になってしまい、清も濁もあわせて重層的に描くことが難しくなってしまいます。
 以下は、原作のラストの部分、風越と新聞記者の西丸の会話です。
 そして、また冬。冷えこみのきびしい夜、新橋の小料理屋で新聞記者の西丸とのんでいるとき、庭野が倒れて病院へかつぎこまれたという報せがきた。すぐタクシーを拾い、病院へとばした。
 酔いの回った西丸が、タクシーのなかでいった。
「これで庭野もおしまいや。結局、あんたがつぶしたようなもんや」
「なんだと」
「庭野はひとりでものびる男やったのに、あんたが庭野庭野といいすぎたんや」
「しかし、おれは人材を……」
「たしかに人材や。けど、それが問題や。鮎川や、その次は庭野やと、あんたはずっと先まで読む。先の先まできめられてしもうと、人間くさるし、反撥もする。そういう反感が全部、庭野たちにぶつかって行くんや」
「ばかな。人間をつぶして、何の政策だ。おれは庭野のように全力で生きる人間を……」
「ほら、また庭野や」
 風越は、鼻を鳴らして黙った。その暗く光る角縁の眼鏡に、西丸は酒くさい息とともに浴びせかけた。
「競走馬じゃあるまいし、全力で走りさえすればええというもんやない。いや、競走馬かて、毎日毎日全力で走らされりゃ、脚でも折るのが関の山や。競馬にたとえてわるいが、あんたの持ち馬は、みんな、死ぬか、けがしてしもうた。死屍累々というところや。もちろん、牧かて、ひょっとすると、ケガしかねん馬やが、片山ならケガはせん。牧が柏戸なら、片山は大鵬のようにやわらかい男や。これからはああいう男の世の中になるとちゃうか」
「いや、そんなことは絶対に許さん」
「まだ、そんなこといいおる。あんたの許す許さんの問題やあらへんのや」
「しかし……」
「ケガしても突っ走るような世の中は、もうそろそろ終りや。通産省そのものがそんなこと許されなくなってきおる。それにな、片山たちが天下国家を考えて居らんと、あんた、どうしていいきれるんや。彼等は彼等なりに……」
「黙れ。おまえまでおかしくなったのか」
 折からタクシーは、虎ノ門から霞が関へとさしかかっていた。
「お客さん、雪になりましたねえ」
 運転手がつぶやいた。ヘッドライトの中へ、白いものが無数におどりこんでくる。その向うに、懐しい官庁街が見えた。どこもほとんど真暗な中で、その夜も通産省の建物には、まだかなりの灯がともっていた。(『城山三郎全集 4 官僚たちの夏 真昼のワンマン・オフィス』新潮社 pp.167~168)



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  1. 2010/01/30(土) 09:33:02|
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《読書》佐々木俊尚『仕事するのにオフィスはいらない-ノマドワーキングのすすめ-』光文社新書




●〔91〕佐々木俊尚『仕事するのにオフィスはいらない-ノマドワーキングのすすめ-』光文社新書 2009(2009.09.19読了)

○内容紹介
さらば残業!さらば満員電車!自分の時間を増やし、人生を豊かにする“遊牧民”的働き方とは。スマートフォンとクラウドが新しい働き方を可能にする。

 面白く、興味深く読むことができました。


○来るべき社会
 昨年(2008年)のリーマンショックに端を発し、「100年に一度」と言われている
 今回の大不況は、私たちの生活に大きな影響を与えつつあります。ほとんどの人はこの大不況にネガティブな印象しか抱いていないでしょう。
しかし大不況がもたらすであろう影響は、それだけではありません。実はこの不況によって、ホワイトカラーの働き方が大きく変わる可能性を秘めているのです。なぜなら、一九九〇年代に始まった終身雇用制の崩壊、そして日本の就業についての構造変化が、ついに総仕上げの時期に来ているということになる可能性があるからです。
 それはどんな社会の幕開けなのでしょうか。端的に言えば、こういうことです。正規雇用が消滅していき、すべての人々が契約社員やフリーランスとなる社会へ。会社に頼っていれば何とかなった時代から、自分自身で人生を切り拓かなければならない時代へ。

 そんな社会を、だれも望んでいないって? そうかもしれません。自分自身の力で生き抜く方法を探していくのは、たいへんですから。しかしこの変化は、否応なくやってきています。だったら私たちは、この状況を何とか乗り切るだけの知恵を付けておかなければなりません。逆に言えば、この未曾有の大不況をうまく乗りこなして、より素晴らしい人生を生み出すための材料にしてしまおうという前向きな姿勢がいまや求められているのです。
 それこそが、新しいノマドの生き方なのです。(pp.5~6)
 う~ん、これは困った社会ではないでしょか。


○メール
 理想的に言えば、よほどの急を要することでもない限り、電話はいっさい使わず、すべてをメールベースで行うことです。少し前までは、
「電話は失礼だから、会ってお話しするのが大切」
「初対面の人にメールで連絡などとんでもない。まず電話で連絡するのが人間として当たり前」
 という考え方が一般的でした。しかし最近は、「緊急でもないのに、電話をかけてくる方が失礼」と考える人が増えてきています。会議の途中、電車に乗っている時、クルマを運転している時、そういう電話に出られない時に限って、ケータイに電話がかかってきたりします。こちらの事情をいっさい考えてくれません。おまけに電話を切った後で、いま聞いた内容やスケジュールなどをあわてて手帳などに書き込まないと、すぐに忘れてしまう可能性があります。
 メールだったら、お互いに好きな時間と好きな場所から返事を書けます。記録も残るので、「言った」「言わない」のトラブルに発展する心配もありません。
 だったら「連絡は電話ではなくて、メールで」となってくるのは、当然の社会の進化ではないでしょうか。(pp.116~117)
 禿同。
  1. 2010/01/25(月) 05:22:35|
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《読書》梅田望夫『シリコンバレーから将棋を観る-羽生善治と現代-』中央公論新社



●〔88〕梅田望夫『シリコンバレーから将棋を観る-羽生善治と現代-』中央公論新社 2009(2009.09.10読了)

○内容紹介
好きなものがありますか?極めたいことは何ですか?―ベストセラー『ウェブ進化論』の著者が「思考の触媒」として見つめ続けてきたものは、将棋における進化の物語だった。天才の中の天才が集う現代将棋の世界は、社会現象を先取りした実験場でもある。羽生善治、佐藤康光、深浦康市、渡辺明ら、超一流プロ棋士との深い対話を軸に、来るべき時代を生き抜く「知のすがた」を探る。予測不能な未来を前に我々はいかに生き抜くべきか。『ウェブ進化論』著者が真理を求める棋士たちの姿に見出した「超一流の方程式」!

 IT時代の最先端を行く筆者と将棋界との取り合わせ。面白い切り口だったと思います。

○指さない将棋ファン
 ブログに将棋のことを書きはじめたとき、はじめはおそるおそろだった。将棋の強い人から「将棋も指さず、ろくに将棋のこともわからない奴が何を……」と言われるだろうと思っていたからだ。
 しかし、こうした隠れファンからの予想外の反応を得て、私にも私なりの将棋の世界への貢献があり得るかなと思うと同時に、「指さない将棋ファン」というコンセプトが、将棋ファンの裾野を広げ、その裾野を豊かにしていくという意味で、とても重要なことだと考えるようになっていった。将棋を指す子供たちが最近また増えているなか、そのお母さんたちへの普及という観点からも。また、これからますます大切になってくる将棋のグローバルな普及という観点からも。
 そして、羽生(善治)さんをはじめ、佐藤(康光)さんや深浦(康市)さんや渡辺(明)さんといったプロ棋士たちとの個人的な親交が深まっていくにつれ、皆同じような問題意識を持ち、「指さない将棋ファン」「観て楽しむ将棋ファン」を増やしていきたいと考えていることを知り、とても心強い気持ちになった。
 将棋を「観て楽しむ」 ための資格なんて、どこにもないのである。
 誰でも、明日から「指さない将棋ファン」 になれるのだ。
 将棋から一度は遠く離れたけれど将棋の世界が気になっている人、将棋は弱くてもなぜか将棋が好きで仕方ない人、将棋を指したこともないのに棋士の魅力に惹かれて将棋になぜか注目してしまう人……。
 そんな人たちに向け、指さなくとも感じ取れる将棋の魅力、そして棋士という素晴らしい人たちの魅力を描くことで、「将棋を観てみよう」と思う気持ちを一人でも多くの人が持つことになればいい……。それだけを願いながら、本書を書き始めることにする。(pp.14~15)

 私も「指さない将棋ファン」ということになるのでしょう。

○ビジョナリー
 いつの時代にもどこかに必ず、凡人には見えない未来をイメージし、そこに向けての第一歩を踏み出している人たちがいる。彼ら彼女らは、思考するだけではなく、自らが思い描く未来のビジョンを実現するために行動し、そしてその過程で、未来の本質を示唆する何かを表現するのである。
 そういう人たちのことを、ビジョナリーと呼ぶ。(p.19)

 羽生善治がビジョナリーということです。

○イノベーションを封じる村社会的言説
 「変わりゆく現代将棋」第16回が掲載された『将棋世界』98年10月号の「新・対局日誌」に、三浦弘行八段(当時六段)の将棋を評したこんな文章がある。筆者は将棋界の語り部としてたくさんの名著を残してきた河口俊彦七段である。
《図は開始七手目の局面。▲1五歩と突いたところだが、こういう手にがっかりさせられるのである。これは一つのアイディアであることはわかる。先手番の得を生かしているとも言える。振り飛車にすれば端の位が生きるし、居飛車穴熊を封じている意味もある。実戦も、この後、振り飛車にして、先手作戦勝ちとなった。だから、これをB、Cクラスの棋士が指したのなら褒められる。しかし、三浦六段はそんな器じゃない。今はC級1組だが、格はAクラス並と仲間は思っている。格にふさわしい、堂々とした指し方をしてもらいたいのだ。▲1五歩といった変な得を追求するようなことをやっていると、将棋のスケールが小さくなってしまう。》
この文章が書かれてからわずか十年あまりだが、開始7手目の▲1五歩のような工夫(イノベーション)をこんなふうに酷評する人はもういない。「邪道」という言葉と同様の意味で、「器」「格」「堂々とした」「変な得」「将棋のスケール」といった曖昧な概念で他者の将棋を酷評する先輩棋士は、昔に比べて明らかに減ったのである。(pp.32~33)

  1. 2010/01/15(金) 11:17:13|
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《読書》秋山真志『寄席の人たち-現代寄席人物列伝-』創美社



●〔87〕秋山真志『寄席の人たち-現代寄席人物列伝-』創美社 2007(2009.09.09読了)

○内容紹介
噺家、紙切り、三味線漫談、漫才師、講釈師等々…。芸人だけではなく、席亭、お囃子さん、寄席文字の師匠など寄席を支える「寄席の人たち」10名を徹底ルポ。意外な人の意外な素顔と、悩みとおかしみと波乱に満ちた人間ドラマ…。読んでおもしろく、知ってためになる、そして何より寄席に行きたくなる、極め付けの本。
北村幾夫(末廣亭席亭)
柳貴家小雪(大神楽)
稲葉千秋(お囃子)
北見マキ(手品)
宝井琴調(講談)
林家正楽(紙切り)
橘左近(寄席文字書家)
三遊亭小円歌(三味線漫談)
あした順子・ひろし(漫才)
三笑亭夢丸(落語)

 面白く読めました。それぞれ、かなり突っ込んでインタビューされていたので、読み応えがありました。

○売れっ子の噺家
 ある有名な師匠のエピソードをよくマクラにしている、これまたブラウン管でお馴染みの師匠がいる(注・笑点メンバーではない)。
 仲間の噺家数人で銀座のバーに飲みに行ったときのこと。有名師匠のズボンのポケットから、銀行の普通預金の通帳がこぼれたので、便所に行ったスキにみんなで見ると、残高にゼロがたくさん並んでいた。数えてみたら、なんと二億何千万あったそうである。便所から帰ってきた有名師匠はこともなげに「そんなの五つ、六つ持ってらア」と宣われたという。
 さらに支払いの段になったとき、有名師匠は自分よりやや若輩の(ラジオで有名な)芸人をつかまえて、「オマ工、みんなの分を払っておけ」と通告した。不快そうなその芸人の耳元で有名師匠はこう囁いた。「オマエな、割り勘てえもんは、みんながイヤーな気持ちになるんだよ。オマエひとりで払えば、オマエひとりのイヤな気分だけですませられるだろ」
 毒舌と吝嗇もここまでいくと、これは一種の芸だ。「こんなにカネを貯めて残り少ない人生で一体、どうやって遣うつもりなのか」と個人的には思うが……。この手のテレビでは絶対に聞けないオフレコの発禁噺が飛び交うところも、寄席の醍醐味のひとつではある。(三笑亭夢丸 pp.306~307)
 これは立川談志のことでしょうね。
 割り勘の件に出てくるラジオで有名な芸人は毒蝮三太夫のことです。この話は橘家圓蔵がよくしているような。

  1. 2010/01/14(木) 07:04:36|
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《読書》中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの-現場からのネット敗北宣言-』光文社新書



●〔84〕中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの-現場からのネット敗北宣言-』光文社新書 2009(2009.09.02読了)〈2009092〉

○内容紹介
著者はニュースサイトの編集者をやっている関係で、ネット漬けの日々を送っているが、とにかくネットが気持ち悪い。そこで他人を「死ね」「ゴミ」「クズ」と罵倒しまくる人も気持ち悪いし、「通報しますた」と揚げ足取りばかりする人も気持ち悪いし、アイドルの他愛もないブログが「絶賛キャーキャーコメント」で埋まるのも気持ち悪いし、ミクシィの「今日のランチはカルボナーラ」みたいなどうでもいい書き込みも気持ち悪い。うんざりだ。本書では、「頭の良い人」ではなく、「普通の人」「バカ」がインターネットをどう利用しているのか?リアルな現実を、現場の視点から描写する。
勝間和代氏、勝谷誠彦氏、禿しく同意!『AERA』『週刊現代』『週刊東洋経済』『SAPIO』『宣伝会議』『日経パソコン』でも話題沸騰!IT関係者、有名ブロガーたちも巻き込んで、ウェブ上で大論争中!
[著者紹介]
中川淳一郎[ナカガワジュンイチロウ]
1973年東京都生まれ。編集者・PRプランナー。一橋大学商学部卒業。博報堂CC局(コーポレートコミュニケーション局)で企業のPR業務を請け負う。2001年に退社し、しばらく無職となったあと雑誌のライターになり、その後「テレビブロス」編集者になる。企業のPR活動、ライター、雑誌編集などをしながら、2006年からインターネット上のニュースサイトの編集者になる。現在は編集・執筆業務の他、ネットでの情報発信に関するコンサルティング業務、プランニング業務も行っている。

 大変面白く読むことができました。
 ネット上ではいろいろ物議をかもしているということですが、私には、「なるほど」と思うところがたくさんありました。

○「集合愚」
 悲しい話だが、ネットに接する人は、ネットユーザーを完全なる 「善」と捉えないほうがいい。集合知のすぼらしさがネットの特徴として語られているが、せっせとネットに書き込みをする人々のなかには凡庸な人も多数含まれる。というか、そちらのほうが多いため、「集合愚」 のほうが私にはしっくりくるし、インターネットというツールを手に入れたことによって、人間の能力が突然変異のごとく向上し、すぼらしいアイディアを生み出すと考えるのはあまりに早計ではないか?(pp.17~18)


○「頭の良い人」「普通の人」「バカ」
 それに対し、私はネットの使い方・発信情報について、「頭の良い人」「普通の人」「バカ」に分けて考えたい。梅田氏の話は「頭の良い人」にまつわる話であり、私は本書で「普通の人」「バカ」にまつわる話をする。(p.19)

*梅田氏…梅田望夫『ウェブ進化論-本当の大変化はこれから始まる-』ちくま新書(2006)等を参照。

○「最強メディアは地上波テレビ」
 最近、「テレビは終わった」と言われる。
 ネットでは、「テレビなんてもう見ていない」「私のまわりでテレビを見ている人はいない」などと書く人も多い。(中略)
 だが、少なくとも日本の場合、結局はこれが真実だ。
 ・最強メディアは地上波テレビ。彼らが最強である時代はしばらく続く視聴率を見れば一目瞭然だ。(p.120)


○大リーグ
 ここ数年、「日本のプロ野球はつまらない。オレは大リーグばかり見ているよ」という意見が出るようになってきたが、それに対し、「本当に大リーグがおもしろいと言えるの? 日本人選手が所属していないミネソタ・ツインズVS.トロント・ブルージェイズの試合を3時間見続けて、『ああ、おもしろかった。いやぁ~本場のプレイはやっぱすげーな』と言えるか? 本当は『日本人選手がどれだけ活躍したか』の結果映像だけを見たいんじゃないの?」 と思う。(pp.152~153)


○年功序列・終身雇用
 私はひねくれた人間であると自分でも認識しているが、それの大きなきっかけとなったのが、1992年、バブル崩壊直後の予備校通学時代に小論文講師から言われたひと言だ。彼は、「日本が年功序列・終身雇用というのはウソだ。日本にはもともと年功序列・終身雇用なんてものはなかった」と言ったのである。彼の真意としては、「日本の会社の特徴とされる年功序列・終身雇用は、あくまでも大企業のためだけのものである。こうやって国立大学へ行こうとしている君たちのお父さんは大企業の人が多く、終身雇用が約束されているだろうし、日本の企業が終身雇用だと報じるマスコミも大企業だ。でも、日本の企業の99.7%は中小企業であり、そこでは年功序列・終身雇用などはもともと存在しない。『日本企業の特徴』について語るときに年功序列・終身雇用は耳通りが良いのでよく使われるだけ」ということであった。
 これに全面的に同意するわけではないが、「通説は必ずしも正しくない」ということだけは、彼のこの発言から汲み取ることができた。(pp.221~222)


○電話
 なんだかんだ言っても、真の「情報革命」の担い手は、アレクサンダー・グラハム・ベルが誕生させた電話(1876年)である。ネットは情報革命の主役ではない。あくまでも電話を頂点とする情報革命の第二段階以後の担い手でしかない。
 「遠くの人としゃべれる」という電話の機能はあまりにも画期的である。電話のない時代は、家族が死んでも伝える手段は電報しかなかった。電報であれば、家にいなくては受け取れず、不確実であり、即時性もない。電報以前は実際に行くしかなかった。「伝える」「答える」「合意する」 ことにかかるコストがあまりにも高かったのである。
 電話はこれを一気に解決したのだ。もはや代替機能はないと言ってもいい。
 一方、ネットで可能なことは、だいたい別のもので代替できる。(pp.236~237)


  1. 2010/01/09(土) 11:40:25|
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《読書》五木寛之『親鸞』(中国新聞連載)



●〔番外〕五木寛之『親鸞』(中国新聞連載小説 2008.09.01~2009.08.31)

○内容紹介
愚者か?悪人か?聖者か?地獄は一定と覚悟し、真実を求めて時代の闇を疾走する青春群像。混迷と激動の時代を疾走した巨人。その苦悩は、今の私たちと同じ悩みであり、その決断は現代の闇を貫く。数々の国民文学を生み出した著者が描く渾身の長編小説。(上)
極悪人も本当に救われるのか?!愛と暴力、罪と罰に苦しみながら、時代の激流に挑む青年の魂の彷徨。だれよりも深く悩み、時代の闇を生き抜いた親鸞。史上最大規模の新聞連載ネットワークで連載され、大反響。人間・親鸞を描く感動の長編小説、さらに佳境へ。(下)

 毎日楽しみに読んでいました。流石に五木寛之、うまいですね。親鸞とはこのような人物だったのかとよくわかりました。
 講談社より単行本として発売されています。

  1. 2010/01/08(金) 11:38:32|
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《読書》唐沢俊一『博覧強記の仕事術』アスペクト(その2)



●〔81〕唐沢俊一『博覧強記の仕事術-効率的なインプット&魅力的なアウトプット指南-』アスペクト 2009(2009.08.25読了)〈2009089〉

(承前)

○溜め込むときよりも始末するとき
 ぴりりと皮肉の利いたエッセイ『茶話』を残した詩人の薄田泣菫によると、
「本は買えばその人を賢くする。しかし、本を売るということはもつとその人を賢くする」
 ということである。つまり、情報というものは、溜め込むときよりも始末するときの方が頭を使う、ということなのである。(pp.102~103)
 なるほど。


○巨大なゴミ置き場
 先に、国会図書館や大宅文庫における“整理”の話をした。大事な話なのでもう一度、繰り返そう。それらは日本有数の知の殿堂と言えるが、単に蔵書数が多いから素晴らしいのではない。あれだけの情報が整理されすぐに取り出せるところが素晴らしいのだ。そうでなくてはただの巨大なゴミ置き場でしかない。これをお読みの方にも、そんな書庫をお持ちの方がいらっしゃるのではないだろうか。(p.110)
 ドキッ(笑)。


○日記の効用
 私に言わせれば、その日記をつけているおかげで、一日前の仕事の状況が整理でき、それによって今日一日の予定を立てることが出来るのだ(私は朝に日記をつけるので)。
 私たち作家にとって、何が商品かというと、つまりは「発想」である。発想であり、視点であり、もっと言えば感想にすぎないものであっても、すべてを記銀しておく。それが日常コラムとか気軽な読み物を注文されたときに生きてくるのだ。すごい深い考察や分析をしてもニーズに合わない。だから、私のWeb日記はとにかくすべてを記録しておこうと思っている。(中略)
 詳細な日記をつけていた人として、イラストレーターの真鍋博さんや映画監督の実相寺昭雄さんらがおられるが、彼らの日記を読ませていただくと、本当に「記録魔」ともいうべき、詳細なメモがなされている。真鍋氏の日記にはインスタントラーメンを食べ始めた時刻と食べ終えた時刻が記載されていたし、実相寺監督は庭に猫が何時何分に入ってきて、何時何分に出て行ったかまでが記されていた。
 友人の岡田斗司夫は「自分の周りに祐筆を置きたい。今思いついたことで一瞬後には忘れてしまうことをすべて記録させておきたい」と言ったことがあったが、彼にせよ実相寺さんや真鍋さんにせよ、自分自身の発想が商売の人間にとって、泡のように浮かんでは消えていく発想自体をどうすくいあげるか。また、それをどう変形させて商品にするか。そのため、日記をつけることによって発想を蓄積し、発酵させていったのではないかと思う。本人がそれを意図してやっていたのかどうかはともかくとして、結果的にはそうなっていたことは間違いない。
 どんな天才であっても、生まれたまま何も学ばず、何の経験もしないままそこにただいるだけでは、発想というものは生まれない。そのためには、日記というのは大変役に立つ 「ツール」であり、「ノウハウ」でもあると言えよう。(pp.119~120)
 ここでも日記の魔力が。


○竜馬
 例えば、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で坂本竜馬を日本の代表的青春像として描くまでは、坂本竜馬は幕末史の中で地味な存在であった。そもそも、維新の風雲の途中で竜馬は暗殺され、その後も続く闘争の中で、その記憶は薄れていった。明治時代になって、竜馬の弟子であった外務大臣・陸奥宗光が竜馬の復権運動を行い、何とか維新史にその名が残った人物でしかなかった。
 司馬遼太郎は、竜馬に関する資料の少ないところに目をつけ、彼のキャラクター造形を自由に行い、幕末回転のフィクサーとしての役割を彼に与えた。実際は西郷や勝海舟などといった大物の使い走り程度の身分だった竜馬を、維新史のシナリオを裏で書いた人物、として再構築したわけだ。(pp.158~159)
 今年の大河ドラマは「龍馬伝」ですが……。


○[付録]唐沢俊一が薦める、常備したい本三〇冊
『知的生活の方法』 (渡部昇一 講談社現代新書)
ベストセラーになったがゆえに刊行当時はいろいろ悪口も書かれたが、今読み返してみると、本を読んで知識を蓄えることを中心にするにはどういう生活スタイルをとったらいいのか、を具体的に描いた、極めて実用的な本。今読んでも古びていないのがさすが。(p.192)
 禿同。

  1. 2010/01/03(日) 06:21:44|
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《読書》唐沢俊一『博覧強記の仕事術』アスペクト(その1)



●〔81〕唐沢俊一『博覧強記の仕事術-効率的なインプット&魅力的なアウトプット指南-』アスペクト 2009(2009.08.25読了)〈2009089〉

○内容紹介
「博覧強記の技能」をあなたに伝授。取捨選択、記憶、整理、思考、発想、そして洗練されたアウトプットが出来るように、ノウハウをもってわかりやすく説明。博覧強記の世界へようこそ。

 面白く読むことができました。
 唐沢俊一だけに、真髄はトリビアルなところにありました。

○「創造力とは記憶力だ」
 いまだに日本映画の最高峰とされている黒澤明も、“創造力とは記憶力だ”と言っている。
『男はつらいよ』シリーズの山田洋二監督の思い出話によれば、黒澤は常に
「俺は天才なんかじゃない、記憶力がいいだけだ。自分の映画はみんな、昔見た映画のマネ をしているだけだ」
と言っていたという。(pp.3~4)

 そう、「思考」も「発想」も、実はすべて「記憶」から生まれるのだ。
 毎日あらゆるメディアから溢れ出る情報を取り込み、取捨選択し、思考し発想し、その上 でアウトプットを行う、というのが、今求められている「新しい博覧強記の人」である。 (p.5)(強調は原文ママ)


○馬鹿ほどえらい
 私が親しくしている岡田鉄平さんというバイオリニストがいるが、彼 は三〇間近になるまで、大阪府と大阪市はどちらが大きいのか、知らなかったそうである。でも、周囲のバイオリニストも似たようなものだと彼は言い、
「一〇代の頃は毎日練習練習で、それ以外のことを覚えている暇があるバイオリニストはものになりません。馬鹿であればあるほどいいバイオリニストだ、と業界では言われています」
と、平気な顔で言う。少し感動してしまったものだ。(pp.29~30)


○「規模の自浄作用」
 「本」というものは、一番、効率的、効果的に情報や知識や見識を広めることを可能にする媒体である。また、映画も本と並んで、優れた媒体である。それらを教養の基礎に置くのはごく当然、自然なことである。なぜ、本や映画が良質な情報を持つのかというと、それは媒体の持っている「規模の自浄作用」と言うべきものの結果である。ネットや携帯電話の情報と異なり、本や映画というのは、発信するだけで大変なコストを必要とする。それだけに、何でもかんでも発信するというわけにはいかず、さまざまな基準で情報を選別し、選ばれたものだけが本や映画となり、読者や観客に届くわけだ。規模が大きい媒体だけに、その自浄作用で、良質な情報が優先して発信されることとなる。よく「情報化時代」などという言葉が使われたとき、パソコンやネット、携帯電話で情報を得なければ時代遅れかのような言われ方をするが、情報過多の時代こそ、選別された情報が必要とも言える。(p.63)


○見極め
 もっと実用的な例を挙げよう。私の担当編集者でⅠ君という東大出の人がいるが、彼は、ホントに東大出か、と思えるくらい、教養話が嫌いだった。あの東浩紀と同期なのに。何しろ、驚いたことに英語がまったく出来ない。英語が苦手で東大受験を思いとどまっている人は考え直した万がいいかもしれない。その勤める総合出版社でも、風俗系の担当になったときが一番生き生きしていて、新宿・歌舞伎町の抱きキャパで火災が起きて多くの死者を出したとき、たまたま彼に連絡が数日とれなかったことがあり、担当作家、編集部の同僚、実の父親までてっきりあそこで死んだと思い込んだ、というような男である。……ところが、そんな彼が配置替えで教養書の担当になり、大学教授といった人たちに本を書かせる立場になると、いきなりお堅い本を立派に作り上げる。彼からは自分が編集した本を毎回送ってくるが、あと書きで彼に対する絶賛を表明している著者も少なくない。その後会ったとき、彼に「すごいね。さすが東大出は違う」と言ったら、そんなことはないと彼は言下に否定した。
 つまり、彼は、「その本を出すために必要最低限度の知識はどこあたりなのか」を見極め、わからないところは著者本人に聞いたり、入門書を読んだりするという。それで、本を編集するには充分の知識量が身につくのだと言う。編集者は、最低でも著者の基本的勘違いなどを見抜く知識を入れていないといけない。記述の正当性を見抜くだけの知識は必要だ。だが、担当編集者が本を書く必要はない。あくまでも著者の原稿チェックが出来ればそれでいいのである。
 やはり、見栄、プライドというのは、やっかいなものである。「わからないです」と言えば済むものを、自分だけで何とかしようとするからポロが出るのだ。勇気を出して「教えてください」と言えば効率的に物事は進むのである。(pp.76~78)


〈To be continued.〉
  1. 2010/01/02(土) 06:19:18|
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